2025年4月18日、『Joey Janela’s Spring Break 9』で行われたサブゥーの引退試合は、多くのGCWファンにとって忘れられない一夜となりました。
ジョーイ・ジャネラとのノーロープ有刺鉄線デスマッチは、まさに狂気と伝説が交差する瞬間でした。しかし、その舞台裏では、誰もが予想しなかった混乱が起きていたのです。

Fightfulによれば、この引退試合は、当日になっても開催が危ぶまれるほどの緊急事態に見舞われていたそうです。
試合当日の午後、ジョーイ・ジャネラのもとに届いたのは「サブゥーが歩けない」という一本の連絡。膝のロックと足の裏の出血により、本人から「会場に行けない」と伝えられたといいます。事態は深刻で、急遽マット・トレモントを代役に立てる案も浮上していたそうです。
「また“サブゥーが来なかった”ってアナウンスしなきゃいけないのか──それが一番怖かった」と、ジャネラは当時を振り返っています。
状況打開のため、関係者が投入したのが、アメリカで合法的に購入可能な鎮痛成分「クラトム」。これを摂取したサブゥーは、ショー開始から2時間遅れて会場に到着。関係者によれば、そのときの彼は「まるで別次元にいるようだった」といいます。それでも彼はリングに立ち、試合は予定どおり始まりました。
試合中、サブゥーは顔面から有刺鉄線に突っ込み、そのまま場外の有刺鉄線ボードに激突。頭部を強打し、一時は完全に意識を失いました。レフェリーからは「続行不可能」との判断も下されかけた中、状況を変えたのは突如登場したECW時代の盟友・サンドマンでした。彼がアティカス・クーガーを排除すると、サブゥーは奇跡的に立ち上がります。
「あの脳震盪が1996年のサブゥーを呼び戻したのかと思った。マジで復活祭だったよ」と、ジャネラは語っています。
サブゥーはその後も最後まで闘い抜き、試合を完遂。観客は総立ちとなり、その闘志に大きな拍手が送られました。ジャネラはこの瞬間を、「まるで雨の中で踊っているのに、一滴も濡れていないような夜だった」と表現しています。
しかし、それからわずか3週間後の2025年5月11日、サブゥーは死去。『Spring Break 9』での一戦が、彼にとって本当に最後の試合となりました。
【参照元:Fightful】
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